■肩書き 役職
国家一級演奏家
日本音楽著作権協会会員
内蒙古音楽家協会常務理事
内蒙古馬頭琴芸術学院名誉院長
中国北方少数民族音楽文化研究会常務理事
内蒙古馬頭琴楽団名誉団長
■経歴と活動実績
沢山ありすぎて書ききれません。
詳細は次のページをご覧下さい。
■アメリカで
●アメリカでは大きな出会いがありました。世界的シンセサイザー奏者にして作曲家、喜多郎氏です。この出会いはリポーにとって大きな喜びでした。沢山のヒントを与えてくれた喜多郎氏に感謝♪
●2007年から2年の間に、リポーは名門ワシントン大学で馬頭琴を83人の学生に教えるとともに40以上のコンサートに出演しました。その中で幾つかを紹介してみましょう。
●08年6月 中国・四川大地震のチャリティコンサートを主催して、収益金・寄付金で1万ドルを寄付することができました。アメリカ市民の助け合いの心に感謝♪
●09年6月 Microsoft社の創業者であるビル・ゲイツ氏の豪邸で行われたパーティで1時間の演奏を行いました。(ちなみに彼は世界一のお金持ちだとか)。
リポーはビル・ゲイツ氏と親しく話をし、馬頭琴を1本進呈する約束をしました!。
●09年7月 モンタナで行われたアメリカ政府主催の第71回Folkフェスティバルに参加し、馬頭琴を演奏しました。
●08年4月と09年4月の2回、ワシントン大学ホールでリポーのコンサートが開催されました。初めて馬頭琴を聴いたお客さまは、物珍しさだけでなくて、きっとその高い芸術性と音楽性に感動されたのでは?
■中国・内モンゴルにて
●内モンゴルテレビは2006年「スーホの白い馬の続編を作る人」という番組を制作し全国に向けて放映しました。リポーをメインにした番組です。これにより馬頭琴を習い始める少年少女が増えたと言われています。
●彼は作曲家としても多くの作品を発表していますが、そのひとつが「遙かなるオトゥールへ」です。高度なテクニックと音楽性が要求される曲で、コンクールで優勝するにはこの曲を弾かないとダメと言われるほど、高い評価を受けています。そんな事もあって、リポーが夏に里帰りすると、馬頭琴コンクールの審査員に引っ張りだこなのです。
●モンゴルの民謡「オルティンドー」…。「長歌」と訳され、日本の追分節の原点と言われています。この「オルティンドー」は2005年にユネスコ無形文化遺産に認定されました。馬頭琴は2003年に認定されているので、モンゴルの民族音楽文化ふたつが貴重な遺産と認定された事になります。
●リポーは、実はこのオルティンドーを馬頭琴で演奏する(伴奏する)名手なのです。
いま内モンゴルでも馬頭琴でオルティンドーの表現のできる奏者は少なくなっています。彼なくして(内モンゴルでは)馬頭琴とオルティンドーの将来は語れない!、のです。
●リポーは毎年夏にふるさと内モンゴルに里帰りします。でもゆっくりできない。友人知人から「食事しながら話を聞かせてよ」とお呼びが掛かる。コンクールの審査員の依頼が来る、ラジオテレビ局からの出演依頼などなど。
彼の人柄の良さ、存在感の大きさがうかがえる話です。
■CDおよびDVD
各CDの詳細は
CD紹介と通販のページをご覧下さい
トップページからYoutubeの動画もご覧いただけます
「遥かなるオトゥールへ」 (1995年)
↑このCD収録曲のうち5曲の試聴ができます CD試聴ページへ
「馬頭琴伝説」 (1998年)
「草原音詩」
「Healing Asia Vol.3 featuring Libo」 (2000年)
シングル「スーホの白い馬」 (2000年)。
「荒城の月によせて」 (2001年)
「祈り」 CD+DVDアルバム (2008年)
■ 馬頭琴奏者リポー Libo 李波 プロフィール
■リポーの今後の予定 (09年10月現在 主なスケジュールのみ)
2009年11月27日
服部克久作曲家50周年記念コンサートにゲスト出演(東京シビックホール)
2010年シンセサイザーの喜多郎氏が作曲を担当する中国北京電映会社の映画「馬頭琴」の演奏を担当予定。
2010年1月 シアトル交響楽団とのコンサートが決定。
2010年 日本で販売中の4つのアルバム『遥かなるオゥトール』 『healing asia vol.3 featuring LIBO』 『馬頭琴的伝説』 『祈り』がアメリカおよびカナダでDOMOレコードより発売決定。4枚のアルバム発売に向けて準備中。



中国・内モンゴル自治区の旧チャハル地方(現シリンゴロ
盟)出身。 国家一級演奏家。
10歳より馬頭琴を始め、15歳で歌舞団に採用されプロとなる。歌舞団の一員として、草原を回り演奏活動を続ける。やがて抜きんでた才能を見出され、内モンゴルラジオテレビ局芸術団に移籍し、主席奏者として活躍。その後、ソロ活動を始める。内モンゴル師範大学で作曲を学ぶ。
内モンゴル民族楽器独奏コンクール駿馬賞(第一位)受賞など、数々のコンクールで優秀な成績をおさめる。
演奏家として活躍するかたわら、師範大学で教鞭をとり、若手の指導を通して消えつつあった馬頭琴の復興に尽力。単なる民族楽器としての馬頭琴から、高い音楽性を持つ弦楽器としての馬頭琴の確立に努める。作曲した作品多数。代表作「遙かなるオトゥールへ」「叙事曲スーホの白い馬」「シリンゴロ随想」など。
類まれなる音楽性とテクニックを合わせ持ち、その豊かな表現力で、民族音楽はもとより、現代の音楽界に新たなる可能性を発信し続けている。
■1995年 大きな夢を抱いて日本に!
日本へは1990年に初来日。
1995年に、日本で本格的に活動すべく、活動拠点を日本に移す。以来、日本国内で数多くの演奏活動を行う。(活動履歴の詳細については経歴のページをご覧下さい)
1996年には、馬頭琴の普及や日蒙文化交流、留学生支援などを目的として
李波馬頭琴基金会を賛同者とともに設立。自ら理事長に就任する。
基金会の活動として、内モンゴル民族音楽コンクールへの資金援助、2001年〜02年には干ばつで苦しむふるさと内モンゴルの遊牧民に140頭の羊を手渡すなどを行う。
2000年には、モンゴル民話「スーホの白い馬」に親しむ子ども達の願いに応えて、「
スーホの白い馬」の歌を作曲。(この歌は小学校などで静かに歌い継がれている。作詞は荒木とよひさ氏)。
そのほか、草原の沙漠化防止、緑化・植樹運動にも関係するなど、音楽関係にとどまらず幅広く活動を続けている。基金会の会員も、小学校への「スーホの白い馬」の出前授業や、各種イベントへの参加などで、馬頭琴とモンゴル文化のPR活動を続けている。
■2007年9月から2年間は アメリカ・シアトルの大学へ
2007年9月より、アメリカ・シアトル市のワシントン大学から民族音楽学部の客員教授として招聘され、赴任。夫妻でシアトルに住む。
ワシントン大学音楽院で83名の学生に馬頭琴の指導を続けるかたわら、2年間で40回以上のコンサート活動も行い、高い評価を受ける。またリポー自身も、異文化に触れることで大いなるインスピレーションを得ることができた。この辺の詳細については、シアトル暮らし写真館もご覧下さい。
日本のみならず活動拠点をアメリカにも広げる機会となり、『馬頭琴を世界へ広めたい』というリポーの夢が少しづつ実りつつある。
■2009年10月 日本での活動を再開♪
2年間のワシントン大学での任務を終え、リポーは「第二のふるさと」日本に戻る。10月4日名古屋市芸術創造センターでの復帰コンサート「馬頭琴音詩」で、多くのファンの皆さまに久方ぶりにその音色をお聴きいただいた。お客様の熱い拍手に、リポーは「日本のお客様はありがたい。あたたかい」と感激しきりであった。
今後、リポーは日本とアメリカの両方に活動の拠点を置きながら、馬頭琴の将来を見据え、世界に馬頭琴を広げる夢に向かって演奏活動を続けます。どうぞ応援をお願い申し上げます。
■日本では
●リポーが来日した時、彼は日本の子どもたちがモンゴル民話「スーホの白い馬」をよく知っているうえに、大好きなことにビックリしました。「スーホの白い馬」は彼のふるさとの民話でした。
日本の子どもは絵本で親しみ、そして6割の子どもが国語の教科書で教わるのです。
●リポーは日本に本拠地を移してから、子ども達の「やさしく歌えるスーホの白い馬の歌を作って欲しい」との願いに応え、2000年、全国からメッセージを募って「スーホの白い馬」の歌を作りました。この歌は日本と内モンゴルで歌い継がれることとなりました。
●この歌は2005年9月の愛知万博閉幕日にEXPOドームでの閉会式コンサートで演奏されました。
当日、会場は3000人のあふれんばかりのお客さま。服部克久氏指揮のオーケストラと少年少女合唱団、それにリポーの馬頭琴による「スーホの白い馬」の演奏が終わった時、まさに割れんばかりの拍手に包まれ、それはしばらく鳴り止みませんでした。
(この欄の筆者自身がその場にいて、感動に胸が震える思いがしたのでした。閑話休題)